ナタリー’s blog

枝垂れ桜の下の魔女

3.11 / prière

こんにちは🌤




なんだか久々に、

春を感じられるいいお天気になりました( ´∀`)

朝から明るく太陽がさし込み、

気分のいい1日が始まる感じ♪

久々の感触でした☀

日曜日にこうして晴れてくれると、

コレコレ( *^^)!! って感じがします♫

気温も今日は本当に暖かくて、17℃!

もっと上がったのかな?

春らしい暖かさと明るさの1日❤

皆さまはいかがお過ごしだったでしょう?




そう、今日は3月11日でしたね。


近づく春に浮かれてばかりではいられない、


複雑な思いを抱く人たちが、


きっとまだまだ立ち直れていない人も、


いるんだと思います。


あの大きな大きな震災から7年。


私は、フランスにいました。


こんな地震の心配のない国にいて、


日本で育った20年間だって


長野県の雄大な山々に囲まれて護られて、


経験した地震は奈良にいたときに揺れた


震度3くらいなものです。


それだって、


突然足元が揺れて立ちくらみだと思って、


立っていたら頭から倒れると思って


思わずしゃがむと、


周りの人もみんなしゃがんでいて·········


そのまま揺れも収まり、


大きな不安を抱くこともなく帰宅しましたが、


一人暮らしだと実感したときに


いざという時の不安や怖さを感じました。



【11/03/2011】



皆さんはどんな一日だったか覚えておいでですか?


語学学校を終え、大学の学部に入る前に


外国人用の一般教養の大学ディプロム課程に


進んでいた私は、


朝9時くらいだったでしょうか、


その日も朝から授業があったのでクラスに着くと、


突然クラスメイトの子数人に囲まれて、



『また日本で地震があったんでしょう?』
『大丈夫?』
『日本は本当によく地震があるみたいね。』



なんだか矢継ぎ早に話しかけられ、


でもうちにはTVを置いていませんし、


朝からネットでニュース確認して家を出るなんて


習慣もなかった私は、知らなかったんです。


そしてその友人たちに、


«大丈夫だよー。日本で地震なんか日常茶飯事だし。»


などと答えてその時間の授業を終え、


でも気づくべきでしたよね。


日本のヤフーニュースには、


震度が小さくても速報が出るじゃないですか。


そのレベルだと思ったんです。


でも朝からこんな海外で、


20代の子たちが騒ぐほどの報道がされた規模を


もう少し真剣に受け止めるべきでした。


日本人が数人同じクラスにいて、


授業の合間に地震の話になりました。


そこで初めて、


・どうやら歴史的な規模の地震が起こったらしい

震源は日本の北部らしい

・現地の人とは既に連絡が取れないらしい


そんな事を聞いて、


(え? 北? 東北ってことだろうか?) と。


不確定な情報で悶々としたままさらに授業を受け、


すると奥様が日本人のフランス人の先生で、


授業の終わりに日本人に向けて


『大変な惨事になっているようだけど、
 皆さんの日本のご家族は無事だろうか?
 妻が日本と連絡を取っているが、
 情報が錯綜しているようで詳しい事は分からない。
 ただ北部に家族のある方は、
 直ちに安否確認をした方がいい。』 と。


当時はまだスマートフォンなどではなく、


外で簡単にインターネットができる状況でなくて


LINEなんて便利なアプリや


海外からのコミュニケーションツールが


そこまで発達しておらず、


家に帰れば、固定電話→固定電話への電話は


ただでかけられる契約になっていましたが、


そんなもん待っていられない!


既に地震発生からどのくらい経っているかも


分からなかったし、あんなに真剣な顔で話す


先生の言葉からも事態の深刻さが伝わってきたし


北部とは言っていたけれど、


それだけ大きな地震で長野県だってもしかして·····


そんな思いも過ぎって学校を出るなり、


携帯からだと高く付くから滅多なことでは、


日本のしかも携帯宛に電話なんかしないんですけど


急いで携帯から、母の携帯に電話をかけると、


とりあえず直ぐに繋がって出てくれたので、


母は、長野県は無事であったのだな······ と。


ただ母の実家、私の生まれ故郷の気仙沼



«すごく大きな地震が起きたって聞いた·····!
 気仙沼は? みんなの安否わかる??»



地震の起きた直後はまだ連絡が付いていたようで、


叔母(母の妹)が母のところに連絡を入れていて


たまたま祖母のところに来ていたから


連れて避難したところだと。


でも叔母もそれ以上のみんなの安否は分からず、


娘2人(私の従妹)は学校だし、


祖父はデイセンターに預けていたし、


叔父2人も仕事場。


他、母の叔母が何人もいますが、


みんなの安否が判ったのは地震発生から


何日経ってからだったのでしょうか。


幸い、本当に幸いです······


血縁の親族のみんなは、誰も亡くなることなく、


生き延びてくれていて、


叔父が数年前に建て替えた実家は、


私にとっても生家ですが、


残念ながら津波によって壊滅的な被害を受けて


残骸となってしまいましたが、


みんなが無事であったことを考えれば、


家の一軒や二軒。。。


きっとみんな思いましたよね。


家なんか津波にくれてやる······· と。


流された家族を返してほしい。


母と叔母と祖母の安否を確認した私は、


母もその叔母からの一報以来連絡がつかない


とのことだったので、とりあえず帰宅した私は


すぐさまネットで調べて見ると、


海外では画像処理のされていない、


ショッキングな映像が流されていて、


事態の深刻さを目の当たりにしました。


その混乱の渦中に一歩も足を踏み入れることなく


映像でしか知らない東日本大震災ですが、


映像だけであれだけショックで、


しかし現実はあんな映像だけでは伝わらないほど


悲惨で過酷で、


私には想像もつかないほどだと思っていて、


現にこんな軽々しく当時のことを


振り返れない人もいるでしょうし。


それでも、


生きなくてはいけませんからね。


強く、優しく、逞しく生きましょう。


そんな事を思いながら、


キリスト教徒でもなんでもないですが、


お祈りに。

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今日は3.11、


東日本大震災で亡くなったすべての方の


ご冥福をお祈りするとともに、


年始になくなった大事な人へのお祈りも兼ねて。


本当は四十九日あたりを狙って、


2月末辺りに来たかったのですが、


風邪をひいてしまっていたので延びて延びて。


お葬式にも、四十九日の法要にも帰れなかった


不甲斐ない叔母さんだけれど、


ここで1時間ほど、


姉に送ってもらった写真を見ながら、


愛らしいお顔と小さな身体、


すごくすごく頑張った小さな心臓を思いながら、


迷わずにパリの空にも遊びに来てもらえるように


しっかり考えてお祈りしてきました🌟


五体満足で産んでもらって、


大きな怪我や病気をすることもなく


健康に育ててもらって、


好きなことをさせてもらってパリに来て、


大切な人に出会って結婚して、


何気ない日々が続くことの幸せを、


しっかりと噛みしめないといけませんね。


働けない不満なんか、可愛いものですよね(-_-)


大丈夫です、待ちます。


通知はそのうち来るでしょう💌


今は今しかできない事をしようと思います。


本を読み漁るとか、


刺し子にチクチク没頭するとか、


グダグダするとか········


贅沢なんですよね、時間があるって。


私の希望と噛み合っていないだけで。


そんな事を考えていた日曜日でした。




皆さんはどんなふうにお過ごしでしたか?

日々の忙しさに忙殺されて忘れがちな、

生きていることの嬉しさとか、

大切な人がいてくれる喜びとか、感謝とか、

たまにふと思い出して考えて、

しっかり伝えていけたら良いですよね。

今週も1週間、

笑顔あるれる日々をお過ごし下さいね❤

Je vous souhaite une toute excellente semaine, soyez souriant avec votre amour!!
BISOUS à vous tous💋